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2008年11月24日 (月)

ひたちなか海浜鉄道訪問記

昨日、鉾田駅保存会と水戸市博物館に出かけた際に、ひたちなか海浜鉄道にも行ってきた。
普段ならば、一気に1日分で済ませてしまうところだったのだけど、色々とネタが拾えたことと11月11日の当ブログにどう考えても、ひたちなか海浜鉄道の社長さんがコメントを下さったこともあって、あえて別エントリーとしてみました。
公式サイトのトピックスをみると、『「ひたちなか海浜鉄道」でブログ検索をするとヒット数が多くて驚く』なんて書かれていてブログを書く身としてはこちらが驚いてしまいます。

Kz_logo

社名が変わり、ロゴマークも変わりました。
基本的には、車体の青い帯の中にロゴが入るのですが、どういうわけだか1両だけロゴの貼られている位置が違うものがいるのはなぜなんでしょう?
何かしら意味があるとは思うのだけれど…。
その一両だけ、車体の青い帯の位置が低く、それも関係しているのかも知れません。
行ったときに運用に入っていたのはこの2両。
Kz_img_0122



キハ3710-02。常時運用についている冷房車でもあります。
Kz_img_0076



もう1両は、キハ222。
国鉄時代の標準色をまとっています。
元々は北海道の羽幌炭鉱鉄道が発注したもので、廃止後にやってきた車両だそうです。
せっかくなので、一度那珂湊で降り、保存されている気動車を見に行く。
Kz_img_0091



こちらが物置として使用されていた、日本初のステンレス気動車、ケハ601。
一時期は本当に動態保存まで考えられたようですが、かれこれ20年近く地面の上に直接置かれていたこともあり、クレーンで吊ると折れる可能性があるとかいうことで断念したと言う話もあります。
更に構内に目をやると、国鉄準急色になった車両がそこそこ撮りやすい位置に止まっていました。
Kz_img_0108



キハ2004。こちらは留萌鉄道からやってきたもの。
昔の炭鉱はかなり資金力があったことが偲ばれます。

Kz_img_0114



構内で2段積みになっている台車のようなものについつい目が行ってしまいました。
旧日本陸軍の97式軽貨車と思われるものがあるのに気付きました。
戦後、陸軍からの放出品があちこちにあるとは聞いていましたが、こういう形で見れるとは…。
Kz_img_0115



更にそのとなりにはもう1組97式の軽貨車があり、こちらもさほど使われている雰囲気はなく…。
大変貴重なものですから、是非とも有効に活用しつつ保存していただきたいものです。
この後那珂湊から、阿字ヶ浦に向かい写真を撮った後帰って来ました。
阿字ヶ浦の駅前には、最近あまり見かけなくなった白ポストが残っていましたが、きちんと管理されている形跡は見受けられませんでした。

今回は、ひたちなか海浜鉄道の訪問が目的ではなかったので、ついつい駆け足での訪問になってしまいました。
今度行く時は、時間に余裕を持って横見裕彦氏のように全駅降りつぶしなんていうのをやってみようかと考えています。

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コメント

初めまして。
偶然見つけたブログでしたが、気になることがあったので書き込みさせていただきます。
陸軍の放出品の貨車、西武鉄道で運行していた軽便鉄道(昭和59年に休止、翌年に新交通システムとして再開)で使用されていた客車の「台車」として使われていました。
当時の客車は小さかったので、トラックに積むのも容易で、あちらこちらに売り飛ばされたそうです。
しかし、僕の家から自転車で30分ぐらいの所に放置状態だった客車も気がつけば姿を消しており、現存するものは少ないと思われます。
静岡の教会に当時使われていたバッテリー式機関車と客車が保存されているそうなので、それが唯一の残存例かも知れません。
また遊びに来ます(*^-^)

>ベンジャミン福士さん
RMライブラリの『所沢車輌工場ものがたり』を見ますと、確かに97式貨車を台車代わりに客車を作ったという記事がありますね。
森林鉄道の客車も似たようなつくりのものが多く、木曽の赤沢にある森林鉄道も、台車は運材台車をそのまま使い、車体は日本交通機械(現:東日本トラスポーテック)や東海交通機械が作ったものを使っています。
井笠鉄道から西武山口線に入った後、丸瀬布に行った客車もそういえばいますね。
こっちは軍用貨車の改造ではないけれど…。

 お越しいただきありがとうございます。
 24日でしたら富山大学鉄道研究会OBが来ていましたので、いっしょにご案内できたかと思います。残念です。今度お越しの際は、声でもおかけいただければ、手があいている限りご案内いたします。
 台車、そんな貴重なものとは知りませんでした。ちょっと調べてみたいと思います。ご指摘ありがとうございました。(もともと軍と関係が深い土地柄ですので、さもありなん、という気がいたします)
 ところで、TPOについて興味深く読ませていただきました。私はまだ富山におりました折、卒業論文のテーマが神岡鉄道だったこともあり、株主代表訴訟を起こしたという中尾一樹氏の名前を聞き知っておりました。縁あって茨城に赴任したところ、当地で鹿島鉄道存続に名乗りを上げておられたと聞き、行動派でアイデアマン、とのイメージを抱いていたのですが、そうではないのでしょうか。少々、驚いている次第です。
 なお、博識でご見識のあるご様子、今後ともご意見をいただければこちらも助かります。
 よろしくお願いいたします。
(ロゴマークの位置は、あまり深い意味はないようです。少しでも変わったところをみせようと、3月中にあわてて添付した、というのが真相のようです)
(吉田)

>ひたちなか海浜鉄道吉田様
コメント頂きありがとうございます。
私自身、97式軽貨車は大井川鐵道の新金谷駅の構内にあったのは見たことがありますが、それ以外となると国内に果たして何台残っているのか不明です。
中国本土に置き去りになったものもあると聞いたことがあります。
中尾一樹氏のことですが、私も最初はアイデアマンだと思っていたのですが、色々と調べていくと驚くことばかりで…。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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